いつも幕間にいる

舞台やドラマの感想など

変わっていく彼らとともに 〜黒ステ〜

先日、黒ステ(舞台黒子のバスケ OVERDRIVE )のブルーレイが届いた。

この舞台は、東京で一度、大阪で一度、ライブビューイングの千穐楽、合計三度観に行った。複数回観る楽しみは、日替わりの台詞だったり、アドリブだったり、色々とあるけれど、公演期間中のキャストたちの個々の変化を感じることでもある。とくに2.5次元は若いキャストが多いから、数日の間に成長する、それを目の前で感じることが多い、と思う。

今回の黒ステでは、それが顕著だった。三度の観劇の中で、生で観ていないにもかかわらず、千穐楽が本当に圧倒的によかった。みなが生き生きしていて、それぞれのキャラクターが乗り移ったようで、それでいて演じているのが楽しくてたまらないという思いが伝わってきた。

 

誤解を恐れず言うと、公演期間中の変化というのはいい意味だけとは限らない。役作りに迷ってると感じたり、雰囲気を変えてきたけどまだモノにできていないように感じたり……ということもある。(決めつけているわけではなくあくまで感じるというだけ)(そういうのも楽しむのが若い俳優の多い舞台だと思っているから、嫌な気持ちにはならない)

でも黒ステの千穐楽は本当に、キャスト全員が今までで一番、圧倒的に、ダントツによかった。迷いや未完成な何かがちらりと見えそうになるときがあっても、次の瞬間には「そんなこと思わせない!」みたいな迫力がそれを凌駕した。本当に、みんな輝いていた。

生の観劇と映画館での画面越しとでは、何もかも圧倒的に違う。だから、生で観ていないにもかかわらずそう感じたということは、きっと実際にはもっと何倍もの輝きがあったんだろうと思う。

 

実際、花宮が黒子を挑発するために顎に手をかけるシーンで、その手を振り払ったのは千穐楽だけだった。原作の黒子はあんなふうに感情を表すタイプではない(と思う)。でもあのシーンにはしびれた。小野賢章さんのアドリブだったらしい。太田基裕さんは「来た!と感じた」とインタビューで語っている。

という細かいことは後から、そうそう、と思うことで、あのときに感じたあの迫力や輝きは、もっと大きな大きなものだったけど。

 

届いたブルーレイに収録されているのは、そんな千穐楽だった。ドキドキしながら再生し、終わりまで画面に釘付けになった。細かいところにも目が届いて、新たな発見もした。

でも、あの日、あの映画館で感じた熱には届かなかった。

 

今考えてみれば、たぶん私は、彼らとともにその変化の中にいたのだろう。もともと原作が好きで、完結してからはしばらく読んでいなかったのが、舞台化で再び黒バスの世界へ来た。そして今回。

漫画「黒子のバスケ」は変化の物語だと思う。その変化は、劇的なチェンジ!というよりは、もともと自分自身が持っていたものを発見したり、それを生かしたり、力にしたり、そういうちょっとした視点の変化のようなもの。それが劇的な変化をもたらす。キセキの世代というのは、そんな奇跡と軌跡、なのかなと考えたりもした。

舞台の最終日、乗り移ったように生き生きして、楽しくてたまらなかったのは、私自身でもあったんだな、と思う。あの瞬間と同じ気持ちはもう経験できないけど、きっと忘れることはない。

 

たった3回だけども、そんなことを感じさせてくれた舞台に、キャストさんたちに感謝しています。

 

次作は来春とのこと。さらなる変化が楽しみです。